ありがとう。で止まって
昨日は
YouTubeハムスター動画
〝『絹毛のハム』
モンちゃんの旅立ち〟にて
悲しみで全てが染まっていて
それは何か違うかな、と
こなさなくていけないことを
こなしつつ。
〝喜怒哀楽〟
並立って無いな。とか。
ありがとう。で止まって
何が〝ありがとう〟なのだろう、
とか。
思索していました。います。
考察〝オチ〟はまだ見えません。
悲しみはまだ周りに浮遊しています。
むりやり振り払うのも違うようだ。
今の住居に実家が引っ越してから
姪が生まれた頃まで
両親がハムスターを飼っていました。
初代ハムちゃんが亡くなった頃
実家に来る予定あり。
向かう途中で電話をしたら
父がハムちゃんのことで
かなり落ち込んでいるとのこと。
その時、
目の前のお店で売っていたのが
眠っているぬいぐるみ(犬💧)
「元気出してね」
何でか父に渡しました。
それが、父にとっては
多いなる慰めになったそうで
しばらく添い寝(驚)したそうです。
母命名〝寝太郎くん〟は
父が亡くなった今も
うちで眠っています💤
「キクちゃん、
今ごろ寝返りの練習しているかな…」
「!〝姪ちゃん〟でしょう⁉︎」(大笑)
言い間違えるほど
父はハムスターに情を注いでいました。
私の知らない父の一面でした。
父の長女に接する面でしか
私は父を知りません。
ほんの数パーセントの父しか
知らないのです。
姪→孫に接する
父の言動を眺めていて
気付きました。
生まれた時
どう終わるか
誰にもわからない。
父も
〝モンちゃん〟も
そんな不確かな生を全うしたのです。
立派です。
透き通るように美しい
ただの〝悲しさ〟を
他人の私が
我で感情を拗らせて
〝モンちゃん〟〝父〟に
擦り付けたくない…
…私は私の生を全うする…
(仮)
『この世の中にある、
たった一つの結び目
あの地平線のはての
あの光の
たったひとつのむすびめ
あれを解きに
私は生まれてきました』
石垣りんさん
〝この世の中にある〟(′59)
…東京・文京区本郷にて…
ぷか…⚮̈